義和団の乱は、1900年から1901年にかけて清で起きた排外主義の民衆蜂起である。山東省で生まれた宗教的秘密結社・義和団が「扶清滅洋」を掲げてキリスト教会や外国勢力を攻撃し、1900年6月には約20万人が北京に入城した。これを受けて西太后は列強8か国に宣戦を布告したが、日本・ロシア・イギリスなどからなる8か国連合軍が8月に北京を占領し、西太后と光緒帝は逃亡した。翌1901年の北京議定書によって、清は巨額の賠償金支払いと外国軍の駐兵を認めさせられた。
義和団紀念館
近代博物館・美術館中国
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