会津若松城(鶴ヶ城)は、戊辰戦争の会津戦争で籠城戦の舞台となった城である。慶応4年(1868年)、会津藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍に抵抗したが、8月の母成峠の戦いに敗れ、新政府軍の若松城下への侵攻を許した。会津藩は鶴ヶ城に籠城して激しく抗戦したものの、同盟諸藩が相次いで降伏して孤立し、9月22日に降伏・開城した。会津藩はのちに減封のうえ、斗南藩として青森の地へ移された。
会津若松城(鶴ヶ城)
近代城郭日本1868年
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地図で見る →会津若松城(鶴ヶ城)は、戊辰戦争の会津戦争で籠城戦の舞台となった城である。慶応4年(1868年)、会津藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍に抵抗したが、8月の母成峠の戦いに敗れ、新政府軍の若松城下への侵攻を許した。会津藩は鶴ヶ城に籠城して激しく抗戦したものの、同盟諸藩が相次いで降伏して孤立し、9月22日に降伏・開城した。会津藩はのちに減封のうえ、斗南藩として青森の地へ移された。