長岡城の戦いは、慶応4年(1868年)の戊辰戦争のうち、北越戦争で新政府軍と越後長岡藩が争った攻防である。長岡藩家老の河井継之助は最新兵器で軍備を整えつつ、小千谷談判で新政府軍の岩村精一郎に中立の調停を申し出たが拒否され、開戦に至った。同年5月、新政府軍が信濃川を渡って城下を奇襲し、長岡城は半日で落城した。長岡藩は7月に一時城を奪還するも再び失い、河井は会津へ撤退する途中で負った傷がもとで塩沢で没した。
長岡城の戦い
近代戦い・古戦場日本1868年
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地図で見る →長岡城の戦いは、慶応4年(1868年)の戊辰戦争のうち、北越戦争で新政府軍と越後長岡藩が争った攻防である。長岡藩家老の河井継之助は最新兵器で軍備を整えつつ、小千谷談判で新政府軍の岩村精一郎に中立の調停を申し出たが拒否され、開戦に至った。同年5月、新政府軍が信濃川を渡って城下を奇襲し、長岡城は半日で落城した。長岡藩は7月に一時城を奪還するも再び失い、河井は会津へ撤退する途中で負った傷がもとで塩沢で没した。