薩摩邸跡は、慶応4年(1868年)に江戸城無血開城を決めた会談が行われたとされる、薩摩藩の江戸藩邸の跡である。新政府軍による江戸城総攻撃を目前にした3月13日・14日、新政府軍参謀の西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁の勝海舟が高輪と田町(三田)の薩摩藩邸で会談し、徳川慶喜の恭順条件をめぐって交渉した。西郷は総攻撃の中止を決断し、江戸城は戦火を交えることなく明け渡された。この無血開城により、江戸の市街は大きな戦禍を免れた。
薩摩邸跡
近代日本1868年
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地図で見る →薩摩邸跡は、慶応4年(1868年)に江戸城無血開城を決めた会談が行われたとされる、薩摩藩の江戸藩邸の跡である。新政府軍による江戸城総攻撃を目前にした3月13日・14日、新政府軍参謀の西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁の勝海舟が高輪と田町(三田)の薩摩藩邸で会談し、徳川慶喜の恭順条件をめぐって交渉した。西郷は総攻撃の中止を決断し、江戸城は戦火を交えることなく明け渡された。この無血開城により、江戸の市街は大きな戦禍を免れた。