天誅組の変は、文久3年(1863年)8月、尊王攘夷派の浪士らが大和で起こした挙兵である。吉村虎太郎ら土佐脱藩浪士を中心とする一党は、公卿の中山忠光を主将に擁し、天皇の大和行幸の先鋒となって幕府直轄地を朝廷に返上させることを掲げた。8月17日、天領の五条代官所を襲って代官らを討ったが、翌18日の八月十八日の政変で攘夷派が失脚すると挙兵の大義を失った。以後は幕府方諸藩の追討を受け、高取城攻めに失敗し、9月末の鷲家での戦闘で主だった指導者が戦死して壊滅した。
天誅組の変
近世博物館・美術館日本1863年
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