吉良上野介邸跡は、赤穂事件の舞台となった高家吉良義央の屋敷跡である。元禄14年(1701年)、江戸城松之大廊下で赤穂藩主浅野長矩が吉良義央に斬りつけ、浅野は即日切腹を命じられて赤穂藩は改易となった。翌元禄15年12月14日(1703年)深夜、大石内蔵助率いる赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良を討ち取ってその首を主君の墓のある泉岳寺に供えた。浪士たちは諸大名家に預けられ、翌年切腹を命じられて泉岳寺に葬られた。主君への忠義を貫いた事件として広く知られ、のちに「忠臣蔵」として語り継がれた。
吉良上野介邸跡
近世日本1701年
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