順天倭城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、慶長2年(1597年)11月から日本軍が朝鮮半島南岸に築いた日本式の城(倭城)の一つである。小西行長が築城し、宇喜多秀家や藤堂高虎らが改修や在番にあたった。三方を海に囲まれた半島状の要害に位置し、山頂には3重の天守が築かれ、石垣の長塁で外郭を固めた軍港機能を備えた城で、二つの入り江には多数の船が停泊したという。慶長3年(1598年)の日本軍撤退に伴い廃城となった。
順天倭城
近世城郭韓国
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地図で見る →順天倭城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、慶長2年(1597年)11月から日本軍が朝鮮半島南岸に築いた日本式の城(倭城)の一つである。小西行長が築城し、宇喜多秀家や藤堂高虎らが改修や在番にあたった。三方を海に囲まれた半島状の要害に位置し、山頂には3重の天守が築かれ、石垣の長塁で外郭を固めた軍港機能を備えた城で、二つの入り江には多数の船が停泊したという。慶長3年(1598年)の日本軍撤退に伴い廃城となった。