耳塚(鼻塚)は、豊臣秀吉の命により慶長2年(1597年)に築かれた、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の戦死者を弔う塚である。秀吉が方広寺大仏を造立した際、その門前に築かせたもので、日本軍が戦功の証として持ち帰った朝鮮・明兵の耳や鼻、約2万人分が埋められていると伝えられる。同年には京都五山の僧を集めて施餓鬼供養が営まれた。参詣者に戦果を誇示する狙いがあったとも考えられている。現在は京都・豊国神社の門前に盛り土の上に五輪塔が建ち、1969年に国の史跡に指定された。
耳塚
近世日本
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地図で見る →耳塚(鼻塚)は、豊臣秀吉の命により慶長2年(1597年)に築かれた、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の戦死者を弔う塚である。秀吉が方広寺大仏を造立した際、その門前に築かせたもので、日本軍が戦功の証として持ち帰った朝鮮・明兵の耳や鼻、約2万人分が埋められていると伝えられる。同年には京都五山の僧を集めて施餓鬼供養が営まれた。参詣者に戦果を誇示する狙いがあったとも考えられている。現在は京都・豊国神社の門前に盛り土の上に五輪塔が建ち、1969年に国の史跡に指定された。