京都・上京にあった豊臣秀吉の政庁兼邸宅。関白に就任した秀吉が天正14年(1586年)から翌年にかけて、かつて大内裏があった内野の地に築いた。堀や石垣を備え城郭のような外観を持つ一方、実際には軍事拠点ではなく政務と居住のための施設として機能し、金箔瓦や白壁の多層建築で飾られた壮麗な建物であったと伝えられる。1591年、秀吉は関白の地位を甥の豊臣秀次に譲り、聚楽第もその居所となったが、1595年に秀次が謀反の疑いをかけられて追放・自害させられると、秀吉は聚楽第を徹底的に取り壊させた。完成からわずか8年で姿を消したことになる。その後の発掘調査では、約600枚に及ぶ金箔瓦などが地中から見つかっている。
聚楽第
近世日本1586年
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