この地は、鎌倉幕府打倒を目指した後醍醐天皇が配流された場所である。後醍醐天皇は正中の変、続く元弘の変と二度にわたって討幕を計画したが、いずれも幕府方に露見して失敗に終わり、その結果1332年に隠岐へと配流されることとなった。天皇でありながら流罪に処せられるという異例の事態は、鎌倉幕府と朝廷との緊張関係がいかに深刻であったかを物語っている。しかし後醍醐天皇はここで挫折することなく、後に隠岐を脱出して再び倒幕運動を主導し、最終的には鎌倉幕府の滅亡と建武の新政の樹立へとつながっていく。配流の地は、後醍醐天皇の不屈の意志と、鎌倉幕府滅亡に至る歴史の転換点を今に伝える場所である。
後醍醐天皇配流の地
中世宮殿・王宮日本1332年
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