金沢柵は、秋田県横手市金沢にあったとされる古代の城柵で、後三年の役(後三年合戦)最後の激戦地として知られる。清原家衡・清原武衡がこの柵に籠城して抗戦したが、源義家は兵糧攻めによってこれを攻略し、寛治元年(1087年)に落城させた。この戦法は日本初の兵糧攻めともいわれる。現在の比定地は戦国期の金沢城が築かれた山で、金沢公園(金沢八幡宮)としてその跡をとどめ、兜杉や兵糧庫跡などの遺構が残る。
金沢柵
古代戦い・古戦場日本
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地図で見る →金沢柵は、秋田県横手市金沢にあったとされる古代の城柵で、後三年の役(後三年合戦)最後の激戦地として知られる。清原家衡・清原武衡がこの柵に籠城して抗戦したが、源義家は兵糧攻めによってこれを攻略し、寛治元年(1087年)に落城させた。この戦法は日本初の兵糧攻めともいわれる。現在の比定地は戦国期の金沢城が築かれた山で、金沢公園(金沢八幡宮)としてその跡をとどめ、兜杉や兵糧庫跡などの遺構が残る。